生きるということ。人は何のために生まれ、死んでいくのだろう?

2021年6月19日

灯篭流し

やなけん(@yanaken8787)です。

今朝、仲の良かった従兄弟が亡くなったと連絡がありました。早朝、自宅外のブロック塀に寄りかかって、頭から血を流した状態で発見されたそうです。通夜・葬儀の日程だけ決まったので有給の申請・航空券の手配と、関係各所に連絡を終えたところです。

今朝、僕は暑さで眠りから覚めて水を飲みに行ったのですが、その時間は既に彼は息を引き取っていた。その前日の夜まで、僕らと同じように食事をして人として生命活動をしていたのに。

人は何のために生まれ、死んでいくのだろう?

僕は生まれた時は未熟児ですぐに保育器へ入れられ、長くは生きられないだろうと言われていたそうです。結婚して子供を授かり、勢いで家を買ってなんとなく毎日を過ごしているけれど、なんとか普通に生きている。

従兄弟の訃報を聴いた時、人の死はあっけないものだなと思った。

生前は冗談を言い合いながら酒を飲み交わし、将来の夢を語り、お互いの心配をした彼とはもう会話ができない。魂の抜けた亡骸となった。もう彼に会えない寂しさや悲しさの感情は溢れ出てくるのだけど、同時にあっけなく無になってしまう不思議さも強く感じています。

人は何のために生まれ、死んでいくのだろう?

理由は特にないのかな。意味なんて無くていいのかな。

生きるということ

生を受けた理由が特にないのであれば、毎日の生命活動にも特に意味は持ってないのかもしれない。

人は、あっと言う間に死んでしまう。

自分がこの世からいなくなる時が必ずくるのだけど、今は自分の意志を持って行動し、自分が見て感じたことにより喜怒哀楽の感情を持つ。人生100年時代というけれど、従兄弟のように40代半ばで一生を終える可能性を考えると、好きな仲間と好きなことして、今を謳歌することがいいなと思った。

自分の人生、いつ終わっても悔いのないように毎日を過ごそう。

悔いのない毎日の中には、家族の幸せであったり、周囲の幸せであったり。

自分を中心に、周囲が楽しく過ごせるようにしていこうと思った。

 

雑記

Posted by やなけん